カタルーニャ、地元の人が行く穴場をご紹介します。
目次:
日本人にはカダケスより有名ではなく、バルセロナからはシッチェスよりもすこし遠いトッサ・ダ・マール 。
しかし、トッサ・ダ・マールは、地中海岸の素晴らしいリゾート地です!
バルセロナの85キロ北にあるトッサ・ダ・マールは夏休みは、ヨーロッパ人でとても賑やかになります。このリゾート地の魅力はまず気候。夏になっても地中海からそよ風が吹き、そんなに暑くなりません。
そして、なによりもトッサ・デ・マールの旧市街は見逃せない観光地です。城壁に囲まれ、細い道を歩くと過去に遡ります。広い砂浜は町の中心地の前にあるので、すぐ行けます。
☆ トッサ・ダ・マールの歴史:
旧石器時代すでにこの辺りにイベリア半島の先住民が住んでいました。
古代ローマ時代には、ここに数軒の豪華な家が建てられていました。バス・ターミナルの近くの遺跡に最も興味がわくと思います。今も、発掘中ですが、安い入場料で見学が出来ます。
この辺りで発見されたモザイク、器具、彫刻、セラミックの壷などは、トッサの市立博物館に展示されています。
ビーチは地中海にそって広がり、そのすぐ南、岩の岬の上にかってトッサの旧市街が建設されました。現在カタルーニャ地方の地中海岸にただ一つ残された市壁付きの中世の村です。旧市街を囲む市壁は12世紀の終わりごろ〜13世紀初頭に建てられましたが、今、私達が見る市壁は、1387年に改装された市壁です。
戦略として高い塔も建設されました。トッサが栄えていた時に、市壁の中にはゴシック様式の教会と80軒の家がありました。一番大きな建物は、トッサの知事が住んでいた家で、現在、市立博物館です。14世紀に改装された市壁はほとんど全てそのまま残されましたので、今では素晴らしい歴史的な場所になっています。この市壁は16世紀にトッサが受けた数え切れない海賊の侵入から守ってきました。
丘の上にある灯台まで散歩が出来ます。そこからは、南の方にある入り江まで見わたせます。多くの地中海性の松の木が植えられています。旧市街には先ほどお話しした市立博物館があり、数軒のレストランもあります。岬の上から、エメラルド・グリーンの地中海、それに沿ってビーチ、新市街などすべてがきれいに見えます。登る途中で、エヴァ・ガードナー(ブロンズ彫刻ですが...)に出会うでしょう。
女優ガードナーは、1950年にトッサ・デ・マールで「Pandora y el holandes errante」という映画を撮影しました。
20世紀初頭から、カダケスやシッチェスのようにトッサもその時代の画家や作家を引きつけました。特に1930年代はカタルーニャ地方だけではなく、スペインや外国の作家、画家、詩人、建築家、哲学者、彫刻家などがトッサに魅了され、彼等は長い間トッサに滞在しました。
トッサ新市街にはレストラン、ホテル、ペンション、バー、お店が多いですが、近くのリョレット・ダ・マール のようにディスコなどはあまりありません。トッサは夏は賑やかですが、印象としては落ち着いた雰囲気です。
新市街には面白い建物が数軒あります。サン・ビセンス教会は、1755年に破壊された旧市街の教会の代わりに建てられました。シンプルですが身廊が大きい建物です。
1773年にサン・ミケル旧病院も建設されました(今バス・ターミナル近くにあります)。この建物はアメリカ大陸でお金持ちになったトッサの人によって、貧しい人のために建てられました。2階建ての建物で、中庭があります。バロック様式の祭壇があるサン・ミケル・チャペルは、この旧病院の隣にあります。
歩行者天国になっているトッサ中心地の細い道では小さなチャペルも見逃せません。この Verge dels Socors(救援の聖処女)チャペルは、16世紀の終わりに建設されました。時代により修復されましたが、航海者と商売の人達は、このチャペルによくお祈りしました(日曜日にはチャペルの後ろにあるスペイン広場で地元の人達はサルダナを踊ります)。
今、現在ホテル・ディアナになったサンス邸は、1906年に建設されたモデルニスモ建築の建物です。コロンビアでコルクの商売でお金持ちになったサンスさんのために建設されました。
最後に、トッサの料理についてお話しましょう。トッサの位置を考えると、やっぱり地中海料理はメインです:魚介類は本当に美味しい:蒸したムール貝、スケット(トマト、ニンニク、サフランなどを使って煮込んだ魚介類のスープ)、マグロのステーキなどが食べられます。レストランに入ると、選べないほどチョイスが多い。そして、ウサギまたはチキンとあかざエビ、イカ、タラ、スィミトンバ(アリオリ・ソース付きの魚)も。
オーブンで焼いた魚や鉄板焼きの魚も美味しい!スズキ、カレイやタイなどから選べます。
バルセロナからトッサ・デ・マールまでの日帰り旅行も楽しいですが、やっぱり、こういう素晴らしいところに行くと、最低一泊したくなりますね!ビーチで本を読んだり、泳いだり、旧市街のレストランで美味しい現地の料理を食べたりして、夕方、地中海に面しているテラスで友達と面白い話をしたり。ホテルに帰ると、カタルーニャ人は笑顔で、「オラ!ケ・タル?」と声をかけてきます。
いいなぁ...リゾート地トッサのヴァカンス!
ロシア出身のガラは、1958年ダリと結婚しました。二人は、カダケスの近くにある「卵の家」に住んでいましたが、サルバドール・ダリはガラのためにお城をプレゼントしたいと思っていました。
一番最初、北イタリアで古いお城を探してみましたが、結局1969年にカタルーニャ地方で、荒れ果ててしまっていた小さなお城を発見しました。二人ともすぐに場所もお城も好きになりさっそく手に入れました。
このお城は、11世紀に建設されましたが、今の建物は、14世紀の終わりごろ〜15世紀初頭に修復された建物です。昔はプボル男爵のお城でした。「プボル」は、この地方に多く見かけるポプラのことです。
プボル教会のすぐ側にあるガラ城に入ると、左側の受付に白い馬が見えます。この馬は剥製で、1970年にバルセロナのリッツホテルに泊まっていたダリが5階のお部屋まで運ばせた馬です!
2階の部屋は紋章のホール、ピアノの部屋、ガラのベッドルームと浴室、図書館、客用ベッドルーム、ダイニング・ルームがあり、ダリの作品はあちこちに置いてあります。
部屋の天井から黄色い花がたくさん吊り下げられています。カタラン語で「センプラ・ビバス」(いつも生きている)という干し花です。ポール・リガツの「卵の家」にしても、プボル城にしてもこの黄色い花がたくさんあります。
「え?、向こうはドアですか?」
「いいえ、絵です。ダリは開いているドアを壁に描きました...」
古いタペストリー、ダリが描いた絵、ダリが作った作品、ガラのプライベート浴室にある金色の蛇口(「天才が触るモノは全部金になる」とダリが言っていました)、小さなサグラダファミリアの模型、ゆっくりと見て廻ると、感動し続けです。
全ての部屋には、ダリが選んだクラシック音楽が流れています。その音楽のお陰で、穏やかな雰囲気で魅力的な見学が出来ます。
3階には、ガラのドレスが展示されているショー・ルームと特別展が開催される部屋があります。
1階のガレージにダリが運転していたキャデラック・ドゥビルが駐車されています。オレンジ色のガラの車も近くにあります。
やや大きな庭には木がたくさん植えられていて、一番奥にワグナーの頭で囲まれているプールがあります。この庭を散歩しながら、ダリが作った細い足の象に出会えるでしょう。とても素敵な庭です。
ダリはガラの招待状なしでは、プボルのお城に来られませんでした。ガラは、だいたい一週間ぐらいここに一人で滞在して、そして、ポール・リガツの「卵の家」に戻っていました。
1982年に亡くなったガラは、地下の部屋に埋られました。その後、ダリはガラの部屋に住んでいましたが、1984年に火事が起こり、重症になったダリはプボル城を出なければなりませんでした。
1996年からプボル城はツーリストのためにオープンしました。とても静かな田舎にあり、行くと心が落ち着きます。
お城の前にある通りを降りて、村の中心地まで行ってみてください。きっと村のお年より達が、どこかのベンチでおしゃべりをしていると思います。
時期: | プボル城の営業時間: |
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3月15日〜 6月14日: | 10時30分〜18時00分 |
6月15日〜 9月15日: | 10時30分〜20時00分 |
9月16日〜11月1日: | 10時30分〜18時00分 |
11月2日〜12月31日: | 10時30分〜17時00分 |
月曜日は定休日。
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プボルはとても小さな田舎の村ですので、パン屋さん等はありません。
一軒の田舎風のレストランしかありません。日替わりメニューは安い。
Restaurant Can Bosch
C/ Fora Muralla, s/n
17120 Pubol
(+34) 972-48-83-57
レウスは、アントニー・ガウディの出生地で、バルセロナの南110キロにあります。
1309年に Jaime II 王様は週1回の市場の開業を認可しました。中世から、つまり700年間も、この市場が続いています。
そして、18世紀にレウスは、カタルーニャ州の第2都市になって、織物、ドライ・フルーツ、ワインと油の貿易で盛んで、レウス、パリとロンドンは満場一致でブランデーの世界相場を決めていました。
カタルーニャ州で Reus - Paris - London はよく知られている文章です。
現在、人口10万7千人で、レウスは、バッシュ・カンプ( Baix Camp )行政区の主要な街です。
地中海の景色に囲まれているこの行政区は昔からの商業のおかげできれいな街並みになりました。
19世紀の終わりと20世紀の始めにモデルニスモ建築の影響も受けました。
そして、スペインで有名な Prim 将軍、ガウディ建築家と Maria Fortuny 画家はレウスで生まれました。
「ガウディのレウス」というコースがあります。ガウディが生まれた家、洗礼を授けた教会、通っていた中学校、友達と通っていたところ、一言で言えば、彼の16歳までの馴染みのところがたくさんあります。
奇妙にレウスには、ガウディによって建てられた建物はありません。
しかし、リュス・ドメネク・イ・ムンタネール(バルセロナのカタルーニャ音楽堂、サン・パウ病院、カサ・レェオ・イ・モレーラ)によって建てられた建物 Casa Navas (1901-1907, Plaza del Mercadal, 7) は見事な建物です。外観も、内装も素晴らしい。特にステンド・グラスは非常にきれいです。"Institut Pere Mata"、"Casa Gasull"と"Casa Rull" も同じ建築家によって建てられました。
モデルニスモのコースがありますので、モデルニスモ建築に興味がある方は、レウス市をオススメします。
バルセロナから日帰り旅行で行ったら、いい思い出になると思います。
その時、昼食は Restaurant Escaladei ( raval de robuster, 49 )で食べてみて下さい。
カタラン料理で街の中心にあります。
営業時間:13時00分〜15時30分と20時30分〜22時30分。
気分転換出来る穏やかで絵になる町 Besalu (ベサル)は、カタルーニャ地方の北部にあり、ジローナから30キロぐらい離れています。
ベサルは、標高150メートル、フルビア川とカペリャダス川に囲まれている村です。ピレネー山脈が近くて、谷の多い地方にあります。この恵まれた地理的条件のお陰で小部族が紀元前6世紀からここに住んでいました。
そして、902年に Guifre el Pilos 王が亡くなった後、ベサル地方は独立した伯爵領土になりましたが、1111年にバルセロナの伯爵領に併合してしまいました。
1966年にベサル旧市街は歴史上の芸術遺産として認定されています。
現在、人口2200人で、ウロット、フィゲラスとジローナに行く途中の道路の交差にあります。観光以外はベサル地方の主な資源は織物産業と石膏です。
ベサルの中央広場 Placa de la Llibertat から散歩を始めます。この広場は、16世紀に建てられたアーケードの付いた建物に囲まれています。この広場で中世から市場が開催されます(現在、毎火曜日、9時〜午後1時ぐらいまで)。
Cano 通りを歩くと、順番に14世紀の建物で、裁判所として使われていた Curia Reial を見ます。その後、現在カルチャー・センターになっている旧サンタ・ジュリア病院の前を通ります。正面は12世紀の建築です。
Prat de St. Pere 広場に入るとサン・ペラ教会を目のあたりにします。
977年に創設されたいくつもの僧院の中でサン・ペラ教会しか残っていません。ロマネスク様式の周歩廊は特に必見です。
外に出たら、その後、カサ・コルネリャ(Casa Cornellia)の前に着きます。12世紀の終わりごろのロマネスク様式の建物です。1階の広いアーケードと2階のもう少し小さなアーケード付きの静かな中庭はたくさんのカラフルな花で飾られています。
Fluvia 川に近づくと旧ユダヤ人の地区に建てられている Call Miqwe に着きます。スペインには一つしかない建物で、旧ユダヤ人は、この12世紀に建設されたロマネスク様式の清めの式のバスで身を清めていました。石で作られている部屋に階段があって、小さなプールまで降りることが出来ます。ユダヤ人にとっては重要な儀式のところでした。
そして、足をもう少し伸ばしたら、ベサルの一番きれいなところに行きます。11世紀に建てられたロマネスク様式の防備施設のある素晴らしい橋まで行けます。川にあった大きな岩を足場に建てられましたので、まっすぐな橋ではないです!
11世紀の人々が考えた、便利な作りのこの橋は、現在、確かに魅力的なスタイルだと思います。独立していた伯爵領土の際、旅行人が橋を渡るのにお金を払っていたらしいです。
この橋は1965年に修復されました。橋を渡ったら、ベサル全体だけではなく、回りの低い山もきれいに見えます。本当に、絵になる景色です。
そろそろ、中央広場に戻って、テラスでお茶でもしませんか?
季節によって異なりますが、ベサルのレストランは、この地方の材料で、伝統的なカタラン料理を作ってくれます。
カタルーニャ地方には、いくつかの世界遺産があり、その中にポブレット修道院が1991年に登録されました。
「 Poblet 」 はラテン語の言葉で「ポプラ並木」の意味です。
この修道院はプラデス山を背景に、泉の音がどこからでも聞こえるポプラの森に囲まれたところにあります。素晴らしい環境に建設されました。
このものすごく静かなところのお陰でシトー会の基本方針(理想、哲学、思想)をよく理解することが出来ます。
カタルーニャ地方のやや真中にあるポブレット修道院は12世紀に建てられ始めました。1151年にカタルーニャの伯爵はシトー会の修道院を建つのに、フランスの南部のフォンフロワード修道院の命令で土地を譲渡しました。
1153年に修道士12人はポブレット修道院に住み始めました。
王様と貴族の寄付のお陰で、この修道院は最盛期(14世紀)に70つの村と7つの男爵領に裁判権を行使していました。この修道院の最初の保護者はカタルーニャ・アラゴン王朝の王様でした。王様と廷臣がサラゴサからバルセロナまで移動していた時にポブレットは、彼らの好きな宿泊地でした。
そして、ポブレット修道院の周りにある生い茂った葉むらで狩猟を楽しんでいました。
その後、この修道院は帝王の隠遁になりました。
16世紀からポブレットの影響が減り始めました。独立戦争、修道会の廃止、そして、宗教の財産を売る1835年の法律のため、倒産しました。
1930年に Eduardo Toda i Guell 外交官のお陰で灰の中からよみがえました。
スペイン内戦が終わった後、1940年に修道士がポブレットに戻って、現在、30人ぐらいの修道士はここに住んでいます。現在、ポブレットは精神的に重要なところになりました。
シトー会の理想は宗規、禁欲生活と苦行です。ポブレット修道院を訪れると、建物に装飾がないことは目立ちます。
プラデス門から最初の城壁(長さ2キロ、高さ5メートル)を越えて、別の世界に入ります。15世紀に建てられた聖ジョルディーのチャペルが見えてきます。
2番目の城壁を越えると、金の門の前に着きます。この門の名前は、1564年にフェリペ2世によって、扉に金を取り付けたからです。
そして、Major 広場に入ります。面白い建物(サンタ・カテリナ教会など)に囲まれている広場で、ポブレットの昔の威光がよく分かるところです。
1336年から建設された3番目の城壁を越えると、ポブレットの中心地に着きます。
この3番目の城壁は長さ608メートル、高さ11メートル、厚さ2メートルで印象的です。のこぎり壁、巡視路と11つの塔があります。
教会のバロック様式の正面、マルティー王様の宮殿、中庭回廊、修道院の総会室、教会の有名な採光塔、王様のパンテオンと古い図書館があります。大理石の泉が沈黙を破っています。
すべての建物と部屋は、とてもシンプルな建築で、装飾などはあまりありません。あちこちで見える素晴らしいオジーブ(丸天井の筋かい骨)を見るのを忘れないで下さい。
今も修道士がポブレットに住んでいますので、観光客は自由に歩けません。専門ガイド付きのツアーになります。カタラン語、スペイン語、英語とフランス語のツアーがあり、45分のツアーは朝は10時〜12時30分までで、午後は15時〜17時30分までです(注意:カタラン語とスペイン語以外のツアーは少ない)。
バルセロナの近くにカルダス・ダ・モンブイ ( Caldes de Montbui )という温泉地があります。
日本の温泉との違いを見てみるのも、面白い経験になります!
バルセロナから30キロにあるこの町は、カタルーニャ地方で有名な温泉地です。紀元前1世紀にローマ人によって最初の温泉が建設されました。現在イベリア半島で一番きれいに保存されている古代ローマの温泉の遺跡をここで見ることが出来ます。
人口1万7千人のカルダスは、標高200メートルにあり、森に囲まれた町です。気候に恵まれ落ち着いた所なので、自然、スポーツ、文化などが楽しめます(観光局は、ハイキング・コース、サイクリング・コースの地図を制作しています)。
旧市街の中央広場の周りには市役所、観光局、古代ローマの温泉の遺跡、ホテルがあり、お湯が噴出しているところ(源泉)もあります。想像よりは小さいものです。このお湯は74度もあり(ヨーロッパで一番熱いお湯の一つ)、一日に100万リットルも噴出しています。この噴水の上にライオンの彫刻があるので、ライオンの噴水と呼ばれています。
カルダスの公衆源泉は、このライオンの噴水と他にサンタマリア教会の前のお湯があります。
町の商業地区はバス・ターミナルの方です(徒歩5分)。スーパー、銀行、カフェ、お店などが多い。
観光局の無料地図には 左右 A と B コースに分かれて書かれてあり、ゆっくりとカルダスの中心地を一回り見て廻るのはどうでしょか?中央広場から細い道を歩き、古い市壁、古い牢屋、サンタ・マリア教会、古代ローマの温泉の遺跡、洗濯場だった温泉、ロマネスク様式の橋などを見ることが出来ます。カルダスは小さな町ですので、ゆっくり歩いても2時間で全部廻ることが出来ます。
カルダス・ダ・モンブイ市にいる間に、この町のお菓子カルキニオリース(アーモンド味)を是非食べてみて下さい。そして、この町のお酒は Les Flors del Remei (ラス・フロース・ダル・ラメイ)です。
☆ カルダスの温泉ホテル3軒をおすすめします:
Termes Victoria(3つ星ホテル):
旧市街の中心地にあり、広い庭に面している部屋は冷暖房、お風呂、電話、衛星テレビ付きです。数軒のレストラン、プール、スポーツクラブ、図書館、ビリヤード、駐車場もあり。
水温処理、熱水のサービス、エステ・サービス(体、顔)、スパー、マッサージが利用出来ます。
ご料金:2名様、ツイン・ルーム、1泊、3食:
173 ユーロ~200 ユーロ。
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Hotel Vila de Caldes (4つ星ホテル):
建物は最初1849年に建設されましたが、バルセロナ・オリンピック(1992年)の時に完全に再建されました。一年中開いていて、30室あります。
プール、庭、 ビデオテック(スペイン語、英語などのビデオ)、駐車場、70名様までの会議室、両替所、レストラン、カフェテリア、バルが有り。
部屋にセフティーボックス、ヘアドライヤー、ミニバル、インターネット用のプラッグ、テレビ、ビデオ、冷暖房、ラジオが設備されています。
温泉のサービスはマッサージ、ジャクジー、泡付きのバスなど。
ご料金:2名様、ツイン・ルーム、1泊、3食:約185 ユーロ。
一週間の特別なご料金もあります。
https://hotelspaviladecaldes.com/
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Hotel-Balneari Broquetas (3つ星ホテル):
Hotel Vila de Caldes と同じオーナーです。このホテルは、ライオン噴水にある広場に面していて、目立つ正面なので、すぐ分かります。1729年に最初の建物が建設されましたが、時代によって改装されています。
86部屋があり、テレビ、電話、ヘアドライヤーが設備されています。
ホテルには屋外プール、駐車場、庭、テーブル・テニス、テレビ・ルーム、そして300名様まで借りることが出来る会議室もあります。
温泉治療法:ジェット・プール、海草バス、蒸し風呂、指圧など。
ご料金:2名様、ツイン・ルーム、1泊、3食:162 ユーロ~。
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ホテル代が安くないので、スパにリフォームされた旧洗濯場でのリラックス(1時間)はいかがですか?入場制限(10名まで)されているので、事前予約が必要。
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注意:ホテルのプールでは水着を着なければなりません。
水着をお忘れなくおもちください!
西スペインのカンタブリア地方を源とするエブロ川は、標高880メートルの水源から東に向かって流れています。スペインの一番大きい川で、長さは910キロですが、ほんの少しだけカタルーニャ地方を流れています。
ところで、カタラン語で「エブロ川」ではなく「エブラ川」と言います。
この川は、地中海に流れ出る時に広い三角州になります:エブロ川の三角州 。バルセロナの175キロ南にあり、車で自然保護地区まで2時間ぐらいかかります。
自然保護地区は、デルタブラ市民の要望で1983年に創立されました。
カタルーニャ地方で一番広い(7802ヘクタール)湿潤地域です。
また西ヨーロッパで2番目に大きな湿潤地域です(1番は南フランスのカマルグ地方)。
三角州は、カタルーニャ地方の海岸より22キロで海の方に広がっています。
矢印の形をしています。三角州内の距離はわりと短いですが、移動するのに車が必要です。
エブロ川の三角州は、320平方キロメートルで、その20%は自然保護地区、75%は栽培されている土地、そして残りの5%は町です。三角州の人口は5万人。
お米(2000ヘクタールぐらいの稲田)、菜園、果樹園、漁業、養殖(ムール貝、カキ、ウナギなど)と観光は、この地方の宝です。
エブロ川の三角州に着いたら、観光局で情報や地図をもらうのがオススメです。観光局は2軒あり、Encanyissada 池とデルタブラ市。展示会、スライド・ショー、ガイド・サービス、情報、天気予報など、役に立つと思います。この地方のお米も買えます。
バードウオッチングが好きな方は、双眼鏡とカメラをお忘れなく!鳥が好きな人のために、木で作られた小屋がいろんな場所に建っています。
自由に小屋に入りベンチに座って、ゆっくりと周りのワイルド・ライフを監視できます。
じゃあ、鳥は何がいるでしょ?時期によっても違いますが、全部で325種類以上です:サギからシラサギ、カモ、クロガモ、ウグイス、ヒバリ、カモメ、小さなワシ、ウシツツキ(オックスペッカー)、アカライチョウの雌、フラミンゴまでいます。夏には鳥4万カップル以上になります。
植物、動物なども豊かです:軟体動物、カタツムリ、海亀、川や海の魚、コウモリなどが生息し見ることが出来ます。
ハイキング・コース、サイクリング・コースが多い。週末に家族で来るカタラン人も少なくなく、レンタル自転車で海辺や池(内陸の野生の鳥が多い)などを見て回ります。
この地方の伝統的な家は、非常に少ないですが、Encanyissada 池の近くに1軒あります:白い壁、小さな窓、藁の屋根・・・とてもきれいな写真が撮れるでしょう!
当社のオススメの場所:
☆ 三角州の北部:
低い砂丘がある Marquesa ビーチ、
Fangar 湾の周りの道(ハイキング・コース)、
Riumar(きれいなリゾート地)の砂浜、
Riumar の近くにある遊覧船(エブロ川の川口まで行く)
(時刻表、料金、写真など:creuersdeltaebre.com/ )
☆ 三角州の南部:
Encanyissada 池のサイクリングとハイキング・コース、
Eucaliptus ビーチ、
Tancada 池(フラミンゴがいます!)、
Buda 池、
Banya 半島。
Banya 半島へは長さ7キロの砂地が真直ぐ紐状(ずっとビーチ)に長く伸びています。
その突き当たりに塩田があります。特にここからの日暮れは素晴らしい!
この地方の祭り:夏にはイベントがたくさん開催されます:フィッシングのコンペ、お米の収穫、料理のお祭り、スポーツ・イベント、鳥のワールド・ディー、サルダナ踊り、宗教の行列、クラシック音楽のコンサートが楽しめます。
宿泊:エブロ川の三角州にはホテルなど宿泊施設が少ないですが、バルセロナからの日帰り旅行はもったいないです。1泊した方がいいと思います。近くの町(サン・カルラス・ダ・ラ・ラピタ、アンプスタ等)に泊るのもいいでしょう。
Deltebre:
www.deltebre.net/
Riumar:川口の近くのきれいなリゾート地、ホテル:数件、ツーリスト向けのレストラン:有り、お店:少ない。
稲田に囲まれているプライベートの家では、部屋のレンタルも出来ます。
Sant Carles de la Rapita:
www.turismelarapita.com/
Amposta
www.turismeamposta.cat/
カタルーニャ地方の地中海岸にはたくさんのリゾート地がありますが、落ち着いたリゾート地を紹介します。
Canet de Mar(カネット・ダ・マール)は、バルセロナの北45キロに位置しています。
カネット・ダ・マール駅を降りて右に曲がり、100メートルぐらい歩き、国道を渡って行くと、歩行者天国になっている Riera Sant Domenec に着きます。最初のきれいな建物はすぐ右手に見つかります。モデルニスモ建築の建物で、壁にある古い看板「 CORREOS 」(郵便局)が面白いです。
同じ通り11番の建物もきれいです。その次の建物が中級レストラン「 Q6 レストラン 」です。
赤いレンガの建物はカタルーニャのモデルニスモ建築の代表的な建物です。このレストランで食事をとるなら、おもてなしのよい庭へもどうぞ... 郷土料理をおすすめします。
■ 営業時間:13時00分〜17時、20時30分〜22時30分。日曜日の夜と月曜日は定休日。
次の建物は「 Ateneu 」という建物で1881年に建設され、今現在カネットの図書館になっています。壁の模様がきれい。Q6 レストランと Ateneu の間に、この町の有名人、建築家ドメネク・イ・ムンタネールの半身像があります。
歩いてきた Riera Sant Domenec 通りはこれから先 Y 字形になって、二つの通りに分かれていきます。その丁度 Y 字のところに、もう一つ目立つモデルニスモ建築の建物があります。 Casa Museu Domenech i Muntaner 、つまりドメネク・イ・ムンタネールの記念博物館です。彼はこの建物に自分の事務所を持ち、この場所でカタルーニャ音楽堂、サン・パウ病院などが構想され現実のものになっていったのです。
■ ムンタネー博物館:
営業時間:月曜日から土曜日まで:10時〜14時、
第1日曜日(10時~13時30分):無料開放日。
右への通り( Carrer Ample )をとって歩いていきましょう。カネットの市役所があり、その左にはもう一つ建物があり、この建物の左の角には石に彫った美しい紋章彫刻あります。市役所の前の建物も必見です。壁の模様、上のレンガの飾り、屋根の風見・・・。
Ample 通りを歩き、左2番目の通り( Torrent dels lledoners )を曲がります。この通り13番の家は16世紀に建てられ、薬局屋さんのオーナーがここに住んでいました。門が面白い。
ベンチ、水飲み場、プラタナスのある狭い広場へはもうすぐです。右側、階段は丘の方上へと続いています。この階段の名前は Escales del St. Crist で、角にモデルニスモ建築の街灯がイエスのモザイクの上に設置されています。階段とは反対の方に続く通りを行くと、教会の前の広場に出ます。
広場には Can Macia の塔の遺跡が見えます。この塔は15世紀の終わり16世紀初頭に建設されました。その頃、北アフリカやトルコから来る海賊を監視するためにこの塔が建設されました。壁の厚さはなんと1.4メートル!もありました。しかし、独裁者プリモ・デ・リベラ( Primo de Ribera )は、1925年にこの塔を破壊することを命令しました。400年前の建物が破壊されたのはもちろんとても残念なことですが、一番悔しいのは彼がカタルーニャの文化を抑止したことではないでしょうか?
同じ広場にきれいな噴水があります。下の方には4つの羽付きの魚、上には八つの街灯があります。短い階段を上って教会の左の方に行きます。左に行く2番目の通りには1910年代に建てられた学校( Colegio Yglesias )があり、これもモデルニスモ建築の建物です。
Riera Buscarons に達して、右に曲がると2、3軒のモデルニスモ建築が見えます: Carrer Abell の角の建物、12番の工場など。
カネットの市場はこの辺りにあります。
■ 市場の営業時間:
月・火・木・金:7時30分〜13時30分、
水・土:7時00分〜14時00分。
この町の観光ハイライトは、サンタ・フロレンティーナ城です。ムンタネールの記念博物館から1.4キロ離れていますが、素晴らしいお城で、見た方が良いです。
11世紀に造られたお城ですが、20世紀初頭に建築家ムンタネーにより大きくなりました。中庭があり、中世ヨーロッパを味わえる建物です。
1908年にスペイン国王アルフォンソ13世は、サンタ・フロレンティーナ城に滞在しました。
また、2015年にHBOのテレビドラマシリーズ『ゲーム・オブ・スローンズ』がこのお城で撮影されました。
1時間15分のプライベート見学+カバ・テスティングをおすすめします。
■ モデルコース:
バルセロナ発、
マタロ市にあるガウディ工場を覗く、
カネット・ダ・マールへ、
ムンタネー博物館を見学、
6Q レストランにて昼食、
サンタ・フロレンティーナ城を見学、
海岸をブラブラ歩く、
バルセロナに戻る。
絶景を楽しむ列車の旅に興味を持っている方には、バルセロナ⇔カネット・ダ・マール間のショートトリップもおすすめします。バルセロナを出てから、ずっと地中海に沿って走るので、ヨット・マリーナ、ビーチ、ヤシの木がある海岸通りが見えます。列車の進行方向の向き、右側に座ることをおすすめします。
ブラネスはバルセロナの70キロ北にあります。コスタ・ブラバ海岸の港で、ブラネスの南方面は砂浜で、北方面は断崖と入り江が続いています。
ビーチに沿っている長いプロムナードの半分はプラタナス、半分は松の木の下に広がっています。この海岸通りは噴水、像、古い錨や花の植え込みで飾られています。ビーチは長くて、やや広いです。
北の方にヨット・マリーナも建設されました。
ブラネスの旧市街は、中世やモデルニスモ建築の建物が少ないですが、居心地よい Passeig de Dintre 通りは面白いです。
中南米で財産を築いたカタラン人によって25番の家(Casa Tordera)は、1908年に建てられました。きれいなモデルニスモ建築(アール・ヌーヴォー様式)です。
1854年に建てられた Mina Cristallina 噴水もこの通りにあります。
Ample 通りにある15世紀に建設されたゴシック様式の水飲み場はブラネスで必見な公共建築物です。高さ4メートルぐらいで、封建領主の記章を頂く6角形の噴水はカブレラ子爵夫人の依頼で建てられました。彫刻やきれいな横樋に飾られています。
旧市街には狭い道路に白い家々が並んでいます。歩行者天国で、お店がとても多いです(午後1時30分から4時30分まで、昼休み(シエスタ)のため、人が少なくなります。地元の人は家でノンビリしていて、ツーリストはビーチで日焼けをしています)。
ところで、ショッピング・ストリートにあるおすすめのケーキ屋さん:
Orench, Jaume Ferrer 通り、2番
ブラネス旧市街を見て回った後にコスタ・ブラハ海岸の入り江まで足を延ばしたら、素晴らしい一日になるでしょう:
モデルコース:湾にある Sa Palomera 岩を上ってから、旧市街を一周して、海岸通りのレストラン・テラスでお食事(魚介類)をとります。その後、ヨット・マリーナの後ろにある Passeig de Carles Faust 道路を歩き、Marimurtra 植物園とその近くにある Sant Francesc 入り江に行きます(旧市街から往復で約2.6キロ)。
旧市街を出ると、最初に Nostra Senyora de l'Esperança(小さな教会)の前を通ります。外観には海に関わる絵が書いてあります。中に入ると、簡素な飾りですが、天井を見てみましょう。この街の船員の奉納で、2隻の船のひな型が天井から掛けられています。
Passeig de Carles Faust 通りは徐々にマリーナの後ろに上っていって、丘の頂上から目の前にブラネス湾が広がっています。ここからは11世紀に建てられたサン・ジョアン城( Castell de Sant Joan )にも行けます。標高175メートルの山で、急な坂ですが、ブラネスを一望している Sant Joan 城から地中海、ブラネスと近隣地域が全部見えます。
「 Cala de Sant Francesc 」という入り江の交通標識に沿って進みます。3分歩きつづけたら、素晴らしい植物園 (Marimurtra)に着きます。5つの大陸から植物(3000種類)が集まっています。言うまでもなく地中海の植物は多いです。よく整備されている公園は牧歌的風景で、様々なパノラマから地中海が見えます。
植物園を出たら、左に曲がります。しばらく歩いたら、紫のブーゲンビレアに囲まれている白い壁のチャペルに到着します。紫の花、小さな白い鐘楼、グリーンの糸杉、その後ろにエメラルドグリーンの地中海が見えます。本当に見事な景色です。
チャペルの右にある小道を降りて、まもなく Sant Francesc ビーチに着きます。砂浜は両側に低い断崖に囲まれています。ビーチに沿って歩いて、上がっていく小道を歩き続けます。5〜6分歩いたら、小さなトンネルがあって、その後、突然小道は行き止まりです。
そこで休憩します。濃いグリーンの横に広い松の木と小低木が赤土の断崖にへばりついたように生えています。
あちこちにサボテンも見えます。下はエメラルド・グリーンの地中海と白い水泡、上はコバルトブルーの空。遠くにヨットの白い帆は静かに離れて行きます。
下にある静かな波音、時折、カモメの声も聞こえます。空気は、潮の香りと松の木の樹液の匂いがしています。
北の方を見たら、地中海に出会うピレネー山脈の数々の支脈の突き当たりは限りなく広がっています。このコスタ・ブラバ海岸の代表的なところまで来てよかったです!
同じ道でブラネスに戻ります。
Marimurtra 植物園の開園時間:
夏:9時〜18時、
冬:10時〜17時。
土・日・際:10時〜14時。
所要時間:約1時間30分。
入場料:7.00 ユーロ。
今日はビーチで日焼けして、明日はピレネー山脈のグリーンな牧場でハイキングが出来ます。これはカタルーニャが大勢の観光客を集めている魅力です:海、山、川、森、様々な景色、様々な植物、カタルーニャには全部ありますよ。
標高700メートルにある人口1万3千人のラ・セウ・ドゥルジェイ は、夏でも涼しい谷です。
ラ・セウ・ドゥルジェイはバルセロナから190キロぐらい、アンドラ公国から10キロ離れています。
ラ・セウ・ドゥルジェイは segre 川と Valira 川の合流点に有り、素晴らしい景色に囲まれています。きれいな牧場、冷たい水の泉、2000メートルを越える頂上はこの地方の自然的な魅力です。
西暦9世紀までこの街は、カステイスィウタットの丘にありましたが、793年に Abd-al-Malik というイスラム教徒に壊滅されましたので、800年から805年まではフランク国王のシャルルマーニュの庇護の下に入りました。
そして、ウルジェイ司教が町を Segre 平野に移動してから、ラ・セウ・ドゥルジェイは現在のところにあります。ラ・セウ・ドゥルジェイは広いウルジェイ伯爵領に加わり、同時に首都になり、13と14世紀に人口が増えてきました。城壁が建てられて、旧市街も拡張しました。
16世紀から18世紀にフランスの軍隊はラ・セウ・ドゥルジェイの土地を何度も占領しましたので、カステイスィウタットに要塞が建てられました。
あいにく、スペイン内戦下(1936〜1939年)、ラ・セウ・ドゥルジェイはまた不景気に入ってしまいました。
しかし、1960年代からこの谷の経済はやっと軌道に乗りました。数年前から、ピレネー山脈の「首都」になったラ・セウ・ドゥルジェイは商売、農業、牧畜と乳業で栄えています。乳製品は原産地表示で保護されています。
市内観光:旧市街のカテドラル、中庭回廊、司教区の博物館、Segre 公園が必見です。
ロマネスク様式のカテドラルは1175年にイタリア生まれである Ramon Llombard によって建てられました。
そして、1918年にカタラン人のジョゼップ・プッチ・イ・カダファック建築家によって改装されました。
西の正面は二つの色の石で建設され、中央部にあるアーケードと頂塔は特にイタリアの代表的の建築です。
13世紀に建てられた中庭回廊の柱頭は、ルシヨン地方(現在南フランス)の芸術家に彫刻されました。この柱頭は人の顔と想像上の動物を表現します。
市役所は15世紀の間に少しずつ改装されました。地下室にローマ時代の家の遺跡も見えます。
Sant Domenec 教会は15世紀に建てられ、ラ・セウ・ドゥルジェイのただ一つのゴシック様式の教会です。
南北に通っている Canonges 通りはアーケードの建物で囲まれいます。
Major 通りは旧市街の主な通りです。この地区には細い道、中世の建物、お店、レストラン、ホテルの多い地区です。旧市街で火曜日と土曜日に市場(野菜、果物、現地のチーズ)が開催されます。
最後にこの町が自慢する Segre 公園は旧市街のすぐ側です。1992年のバルセロナ・オリンピックの時はここはカヌーやカヤックの試合の場所でした。ピレネー山脈を背景して、森や池があるグリーンな自然で散歩したり、ラフティングやカヤックを試したり出来ます。
ラ・セウ・ドゥルジェイの魅力は回りの自然だと思います。旧市街から歩けるハイキング・コースもあります(観光局にお問い合わせ下さい: Av. Valls d'Andorra, 33)。
ラ・セウ・ドゥルジェイの公式サイト:(ホテル、レストラン、写真など)
www.laseu.cat/
ラ・セウ・ドゥルジェイのパラドール:
www.parador.es/
オスタルリックは12世紀に建設された市壁に囲まれた田舎の町(人口:4100人、標高:185メートル)です。
バルセロナから電車で1時間、簡単に行け、面白い日帰り旅行になります。
オスタルリック駅で列車を降りると、丘の上に市壁がすぐに見えます。
国道に沿って歩くと5分ほどでオスタルリックの中心に着きます(ちなみにこの国道はイタリアのローマからスペインのアンダルシアまで続いている道路で、なんとローマ時代からのもの。歴史的な道路ですよ!)
■ モデルコース:
観光局に行き、町の鍵を貰う、
フラレス塔を見学する、
レッリゲー洞窟に入る、
バルセロナ門をくぐって、城壁へ、
城壁を歩く、
アララ塔に上る、
昼食する、
森で散歩する、
要塞を見学する。
市壁に沿う坂道を歩き、右にある古い門を超えて、石畳の町に入っていきます。
真っ直ぐに約600メートル歩き、観光局に着きます。チケット代を支払ってから、「町の鍵」を貰います:この鍵でオスタルリックの観光スポットに入ることが出来ます。
市役所は、かつて修道院でした(20世紀に修復されて市役所に)。
市役所の前には13世紀に建てられた33メートルの高いフラレス塔。塔は以前市壁の外にあり、外への監視場所だったのです。
エレベーターがあるので、らくに屋上に行けます。屋上からオスタルリック(村&要塞)、標高1700メートルのモンセン山と周りの森がきれいに見えます。本当に素晴らしい眺めです。
バルセロナ門に戻り、城壁やアララ塔を見学します。
一つ目の道を左にまがり、丘の麓にレッリゲー洞窟が残っています(深さ6メートル、長さ26メートル)。ここは、かってユダヤ人が集まって(隠れて)いたところです。
サンタ・マリア教会の正面は今は、シンプルなバロック様式ですが、かつてはロマネスク様式の教会でした(15世紀にこの様式に建て替えられた)。
次に教会のそばにある細い道を下りましょう。
以前は墓地へと続いていた道です。Forn 通りを通っていきます。
車の行き止まり標示が出ていますが、それは車のためのもの。私たちはそのまま歩いていきましょう。
下まで行くと古い門があり、門をくぐると市壁の外に出ます。
そのあたりの家の壁には木蔦がからまっていて、とても印象的な素敵な眺めです。
大通りに戻って、少し下の方に行くと Bous 広場に出ます。広場の木々の下にテラスがあり、そのテラスから緑深い丘が見えます。
以前はこの広場まで市壁が作られていたとのことです。カタルーニャ語では Bous の意味が「牛」です。牛を売るマーケットがこの広場で開催されていました。ランチ・タイムです!ボウス広場にレストラン・バル2軒があるので、お好きなテラスで昼食が出来ます。
ランチの後にボウス広場から出て行くハイキング・コース(森)を歩き、40分ほどで要塞に着きます。
丘に上って要塞に行きます。丘からの眺めはグリーンの森や川などが見晴らせとても綺麗。
この要塞は18世紀(1719−1754)に建てられましたが、どうやら12世紀建てられた要塞跡地に建てられたようです。
19世紀初頭、ナポレオン率いるフランス軍隊にこの村と要塞は一度占領されました。
オスタルリックは、小さな町なので、のんびり見て回っても2時間で十分(昼食は別)。田舎の町で、のんびり過ごしたい人にオススメです。
バルセロナへの帰りですが、帰りは、違う路線に乗ります。次の駅 Macanet-Massanes 駅で降りて、郊外電車 R1 または R11 号線に乗り換えます。その後、バルセロナに着くまで地中海の海岸線に沿って海を見ながら走ります。
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