HOME > サイトマップ > カタルーニャ情報 > カタルーニャ有名人 > アントニ・ガウディ(建築家、天才)

サイトマップ > カタルーニャ情報 > ガウディ


アントニ・ガウディ バルセロナ建築家 伝記 作品一覧


ガウディは、20世紀の有名な建築家でした。


目次:





伝記


アントニー・ガウディ・イ・コルネット(Antoni Gaudi i Cornet、1852年6月25日〜1926年6月12日)は、カタルーニャ地方の天才建築家で、モデルニスモ建築の代表者でした。


ガウディ 生まれた家
ガウディが生まれた家

1852年にバルセロナの110キロぐらい南にある「レウス 」という町に生まれました。ガウディの家族は5人兄弟で、貧乏な家族でした。2人の子供は小さいころに亡くなりましたが、そういった家庭環境は150年前では普通でした。

ガウディは少し珍しい青い目と赤毛でした。5歳ぐらいから、リュウマチをわずらい、学校を休みがちで、友達と遊ぶことがあまり出来ませんでした。

彼の両親は「リウドムス」という村(レウスの近く)に家を持って、若いガウディは庭と田舎でよく自然を観察しました。

ガウディのお父さんは鍛冶屋さんで、いつもアトリエでブランデーを冷やす時のパイプを作っていました(100年以上前にレウス地方はブランデーの有名な生産地でした)。

夜、石油ランプを利用すると、曲線のパイプの影は壁に映り、若いガウディに動いている蛇を想像させました。それは、ガウディが爬虫類を好きになったきっかけだったと思われます。

1873年:21歳の時に、バルセロナの建築学校に入校し、職人さんのアトリエでアルバイトを始めました。

1876年:医者になったガウディの兄が突然亡くなりましたから、ガウディのお母さんはショックのあまり、亡くなってしまいました。

1877年にガウディが建築の資格を得た時に、建築学校の校長先生は Qui sap si hem donat el diploma a un boig o a un geni ? El temps ens ho dira と言いました。「この資格は馬鹿な人に上げたか、天才に上げたか、時間が経てば、皆、知るでしょう...」

バルセロナはレウスから遠かったので、ガウディはだんだん実家に帰らなくなりました。その後、両親はバルセロナに引っ越しました。

1878年にパリで万国博が開催されました。若いガウディはそのエキスポのために、手袋屋さんのショー・ウィンドーを鉄とガラスで作りました。エキスポに行ったグエルさんはそのショー・ウィンドーを見て、とても感動して、「これを作った人に会いたい」と言いました。それはグエルさんとガウディが出会うきっかけになりました。

その後、グエルさんはガウディにたくさんの建築物を依頼しました(19世紀にバルセロナは繊維と織物で栄えていました。その時、繊維と織物の会社を経営していた人達はプチ・ブルジョワになりました。その中の一人がグエルさんでした)。

マタロ出身の「ジョゼファ・モレウ」に失恋してから、ガウディは決して結婚しませんでした。


アントニ・ガウディ
アントニ・ガウディ

1883年:31歳の時に、サグラダ・ファミリアの担当者になりました。

自然が好きなガウディはカタルーニャ地方の登山グループに参加して、田舎の古い建物を見て、ハイキングして、Verdaguer などに出会いました。ガウディの母国語はカタルーニャ語だったので、皆といつもカタルーニャ語で会話していました。

1900年:ガウディはカサ・カルベットを作って、バルセロナ市から建築賞を貰いました。生きている間に、この建築賞しか貰いませんでした。

1906年:ガウディの頑健なお父さんが91歳でバルセロナで亡くなりました。

1910年:フランスのパリで、ガウディのエキスポが開催されました。

1911年:体力が低下したガウディはピレネー山脈で静養しました。

ガウディは自然が好きで、曲線、放物線、自然のモノ(植物、動物...)、トカゲ、蛇などをよくモチーフにしました。
そして、ガウディのお父さんもお祖父さんも鍛冶屋さんでしたので、ガウディは小さい頃から、鉄に親しんでいました。彼の建築物には鉄をよく使いました。

ガウディの建築物は曲線ですので、普通のタイルを使うことが出来ません。そのため、ガウディは壊れたタイル(カタルーニャ語で「トランカディス」)を曲線に貼ることにしました。

体力が低下したため、1906年からグエル公園の家に住んでいたガウディは1926年にサグラダ・ファミリアに引っ越しました。

1926年6月12日:その日、ガウディは街を歩いていた時に、路面電車に轢かれました。2日後に、バルセロナ旧市街のサンタ・クレウ病院で亡くなりました。74歳でした。お葬式に多くの市民が参加しました。サグラダ・ファミリアの地下の礼拝堂に埋められました。少し後に、ガウディに会いに来た建築家の今井健二さんはバルセロナに到着して、ガウディの死を知りました。

ガウディには子供がいませんでした。家族がいないため、遺産は全部教会に寄付しました。

スペイン内戦(1936年〜1939年)の時に、ガウディが描いた設計図、ガウディが作った石膏模型はたくさんなくなりました。


ガウディのサイン
ガウディのサイン

1984年、カサ・ミラ、グエル公園とグエル邸が世界遺産になり、2005年にサグラダ・ファミリアのご誕生の正面、カサ・バトリョ、コロニアグエル教会とカサ・ビセンスは追加され、ガウディの7つの建築物は世界遺産になりました。

ガウディは聖人に登録中です。







ガウディ作品


ガウディがデザインした建物がたくさんあります!


Sagrada Família
サグラダ・ファミリア
バルセロナ新市街
世界遺産:2005年~
サグラダファミリア教会
サグラダ・ファミリア
Parc Güell
グエル公園
バルセロナ新市街
世界遺産:1984年~
グエル公園
グエル公園
Casa Milà
カサ・ミラ
バルセロナ新市街
世界遺産:1984年~
カサ・ミラ
カサ・ミラ
Casa Batlló
カサ・バトリョ
バルセロナ新市街
世界遺産:2005年~
カサ・バトリョ
カサ・バトリョ
Palau Güell
グエル邸
バルセロナ旧市街
世界遺産:1984年~
グエル邸
グエル邸
Casa Vicens
カサ・ビセンス
バルセロナ新市街
世界遺産:2005年~
カサ・ビセンス
カサ・ビセンス
Colonia Güell
コロニア・グエル
バルセロナ郊外
世界遺産:2005年~
コロニアグエル教会
コロニア・グエル
Casa Calvet
カサ・カルベット
バルセロナ新市街
カサ・カルベット
カサ・カルベット
Casa Bellesguard
カサ・ベイヤスグアルド
ティビダボの麓
カサ・ベイヤスグアルド
カサ・ベイヤスグアルド
Fanals de la Plaça Reial
レイアル広場の街灯
バルセロナ旧市街
レイアル広場 街灯
レイアル広場の街灯
Finca Güell
グエル別邸
バルセロナ新市街
グエル別邸
グエル別邸
Bodega Güell
ボデガ・グエル
バルセロナの郊外
グエル酒蔵
グエル酒蔵
Finca Miralles
カサ・ミライアス
バルセロナ新市街
Col·legi Teresianes
テレサ学院
バルセロナ新市街
Rosario monumental
栄光の第一秘跡
モンセラット
Cooperativa Obrera Mataronenca
労働組合社の住宅・工場
マタロ市
Jardines Artigas
アルティガス庭
カタルーニャ地方
Catedral de Palma de Mallorca
パルマ・デ・マヨルカのカテドラル
マヨルカ島
El Capricho
エル・カプリチョ
カンタブリア州
Palacio Episcopal
司教館
カスチヤイレオン州
Casa de Botines
カサ・ボティネス
カスチヤイレオン州
Hotel Atraction
アトラクション・ホテル
ニューヨーク


1908年にガウディによってデザインされたニューヨークのアトラクション・ホテルが作られませんでした。しかし、2001年9月11日にテロ事件でワールドトレードセンターが破壊された後、新しい建物の計画がたくさん立てられて、一つの計画はガウディのホテルでした。







ミュージアム


カタルーニャ地方には、ガウディ・ミュージアムが3軒あります。


Gaudí Exhibition Center
Pla de la Seu, 7
バルセロナ旧市街、カテドラル付近
Casa Museu Gaudí
Ctra. del Carmel, 23A
グエル公園、敷地内
Gaudí Centre
Plaça del Mercadal, 3
ガウディの故郷レウス



おすすめのページ





▲ TOP









ご利用は、読者御自身の判断でお願いいたします。
「カタルーニャ観光」は、一切の責任を負いません。



HOME > サイトマップ > カタルーニャ情報 > カタルーニャ有名人 > アントニ・ガウディ(建築家、天才)

サイトマップ > カタルーニャ情報 > ガウディ