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ジョアン・ミロ


ジョアン・ミロは、20世紀の有名な画家/彫刻家でした。


目次:





伝記


ミロ( Joan Miro )は、20世紀を代表するカタルーニャ出身の最も偉大な芸術家です。
全部で2000枚以上の油絵、5000枚以上のデッサンとコラージュ、500の彫刻と400のセラミックを制作しました。


ミロ 作品
ジョアン・ミロが描いた絵画

さて、1893年4月20日にバルセロナ旧市街( Passatge del Credit, 4  )で時計職人のお父さんと装飾家具師の娘のお母さんの間にジョアン・ミロ・フェラ(Joan Miro Ferra)が生まれました。ミロは、カタラン語の発音「ジョアン」の方がスペイン語の発音「ホアン」より好きでした。1897年に妹のドロレスが生まれ、 1900年にミロは小学校に入り、1907年にお父さんの希望でバルセロナの商業学校に入りました。

1911年にミロの家族はタラゴナの近くのモンロッチで農家を購入し、同じ年に若いミロはアルバイトを始めました。しかし、ミロは病気になり、神経衰弱に陥り、その時、芸術に深い興味を持ち始めました。

1912〜15年まで「ガリ」という学校で芸術を勉強しました。その時、陶芸家 Josep Llorens Artigas(アルティガス)と画家Ricard(リカール)と出会いました。バルセロナで開催されていた展示会でキュービスムを発見し、友達になったリカールと二人でアトリエを借りました。1918年に「ダルマウ」というギャラリーで最初の個展を開き、64枚の絵画とデッサンを展示しました。

ミロは1920年にパリに初めて行き、パリとカタルーニャを往復する生活を始め、ピカソと出会いました。バルセロナのフランスエキスポで3枚の絵画を展示し、パリのカタラン展示会で2枚の絵画を展示されましたが、ミロはとても貧乏な生活を送っていました。

パリのモンパルナス地区にいる芸術家たちに引き付けられ、アンドレ・マソンやミシェール・レイリス等と出会いました。数年後に、シュールレアリスムの詩人と作家の影響を受けて、自分らしいスタイルを確立しました。

シュールレアリストのグールプと親交を結び、シュールレアリスムの創設者アンドレ・ブロトンは「我々の中でミロは一番シュールレアリストな人だ」と言いました。ミロはパリで開いた展示会でやっと成功しました。

1926年にミロのお父さんはモンロッチの農家で亡くなりました。
ニューヨークのブルックリンの国際モダーン・アート・エキジビションでミロの絵画2枚が展示されました。1927年にミロはパリのモンマルトルの丘にあるアトリエに引っ越しました。


ミロ モザイク
ランブラス通り モザイク

1929年10月12日にバレアレス諸島のパルマ・デ・マヨルカで Pilar Juncosa(ピラージュンコサ)と結婚し、11月に若夫婦はパリに向かいました。そこでロシア人の画家 Wassily Kandisky(カンディンスキー)と友人になりました。一年後に、バルセロナでミロのひとり娘 Maria Dolores(マリア・ドロレル)が生まれました。

1930年代にミロは色んな雑誌を通じて、「鑑賞的な絵画芸術を殺したい」と述べ、鑑賞的な絵画芸術を軽視していました。パリでいくつかの展示会が開催され、ニューヨークでもミロの最初の展示会が開催されました。1932年にミロはバルセロナに戻り、子供時代の家に再び住んで、パリの滞在は少なくなりました。

モナコのロシア・バレエのために、舞台装置、背景、服装と幕を手掛けました。
1936年に始まったスペイン内戦のため、ミロはスペインを出て、パリとロンドンに逃げました。12月に家族を呼んで、皆はパリに住んでいました。銅と繊維セメントに描き始めました。パリで開催される国際エキスポのスペイン・パビリョンのために「Le faucheur」(カタルーニャの農民)を描きました。
1938年に建築家ポール・ネルソンの客間に「イルカの誕生」というフレスコ画を描きました。

1939年にドイツ軍隊はパリを占領したため、ミロはパリを離れて、ノルマンディ地方に逃げました。ノルマンディの夜空を見て、「星座」のシリーズを描きました。

1940年に滝口修造さんは最初のミロの専攻論文を出版しました。同じ年にミロはスペインの地中海のマヨルカ島に引っ越しました。1941年にニューヨーク近代美術館でミロの大きな個展が開催されました。1944年にミロのお母さんは亡くなり、バルセロナに戻ったミロは陶芸家アルティガスと最初のセラミックと青銅の彫刻を作りました。

1946年にボストンの現代芸術美術館で4人のスペイン人(ダリ、グリス、ピカソ、ミロ)の展示会が開催され、その翌年にミロは初めてアメリカに行きました。シンシナティ・テラス・プラザホテルの壁画(3m x10m)を制作しました。

1948年にまたパリに戻り、1950年にハーバード大学で壁画を作り、初めてツゲの木版画を作りました。
1953年:陶芸家アルティガスと共同制作で386のセラミックを作りあげました。
1956年:建築家 Sert(セルト)はミロのために、バレアレス諸島に家を建てました。ミロはパリにあるユネスコのために壁画を作り始め、この仕事によって、グッゲンハイム財団の賞を貰いました。

1960年に陶芸家アルティガスと共同制作して、ハーバード大学の壁をセラミックで創りなおしました。2年後に、パリの近代美術館でミロの個展が開催されました。バルセロナでミロを湛えて、デッサン部門でジョアン・ミロ賞が作られました。

1964年:ロンドンのテート・ギャラリーとチューリッヒの Kunsthaus でミロの個展が開催されました。世界でミロの個展が一番有名な美術館で頻繁に開催され、ミロの評判は世界に広がりました。

ミロは20世紀の優れた芸術家になりました!

フランスの南部 Saint Paul de Vence(サンポールドバンス)にある Maeght ファンデーションがオープンし、そこにある迷路はミロの彫刻とセラミックで飾られました。1966年に陶芸家アルティガスと共同制作してフランス南部のJuan-les-Pins(ジュアンレパン)で海面下の洞窟に「海のウェヌス」のセラミックを彫刻しました。同じ年に東京と京都でミロの個展が開催されました。
1968年にハーバード大学の名誉博士になり、1970年に陶芸家アルティガスと共同制作して、バルセロナ空港の壁のセラミックを作りました。同じ年に開催された大阪万国博にはガラスのパビリョンのため、巨大な壁のセラミックと庭を作りました。

1973年にフランス南部のサンポールドバンスで、セラミックと彫刻の個展が開催されましたし、バルセロナの IBM 支店でセラミックの壁も作りました。1979年にバルセロナの名誉博士になりました。

1981〜82年にパリのデファンス広場、シカゴ、パルマ・デ・マヨルカ、ヒューストン、そして、バルセロナで、巨大な彫刻を作りました。

バルセロナの Escorxador 公園にある「Dona i Ocell」(女性と鳥)は高さ22m.です!年をとったミロは何百枚のセラミックを作り、パリのユネスコに「太陽と月」のセラミックの壁も作りました。


ミロ公園
ミロ公園 女と鳥

1983年12月25日にパルマ・デ・マヨルカでミロは90歳で永眠し、バルセロナのモンジュイック墓地  で埋められました。



 ミロ美術館、日本語ツアー 





作品


サンジョアンドルタ礼拝堂
Ermita de Sant Joan d'Horta
1917年
ミロ美術館(バルセロナ)
ラ・マシア(農場)
La Masia
1920年~1922年
ナショナル・ギャラリー (ワシントン)
カタツムリ、女性、花と星
Cargol, dona, flor i estrella
1934年
ソフィア王妃芸術センター
排泄物の山を前にした男と女
Home i dona davant d'un munt d'excrements
1935年
ミロ美術館 (バルセロナ)
星座
Constel·lacions
1939年
ミロ美術館 (バルセロナ)
女性(彫刻)
Femme
1981年
バルセロナ市庁舎




美術館


ミロ美術館は、1975年にオープンし、モンジュイックの丘(バルセロナ)にあります。

テート・モダン(ロンドン)、ニューヨーク近代美術館やポンピドゥー・センター(パリ)でもミロの作品がたくさん見えます。


  WEB 

ミロ美術館:www.fmirobcn.org/


 ミロ美術館、チケット予約 





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