リポイは、ピレネー山脈の麓(バルセロナ地方)にある町で、ロマネスク様式(12世紀)の豪華な門でよく知られています。サンタマリア教会と中庭回廊も必見です。リポイの歴史、アクセス、観光情報(レストラン等)をまとめました。
目次:
バルセロナを離れて、落ち着いた町に行ってみませんか?
おすすめの町が本当に多いですが、リポイ町は、いかがでしょうか?
リポイ(リポール、Ripoll)が、カタルーニャの誕生地だとよく言われています。
ピレネー山脈の麓にあるリポイ市(標高:690メートル、人口:1万人)は、バルセロナの北110キロにあります。
リポイの魅力は?
・ 落ち着いた町、Guifré I が、よく知られているバルセロナ公爵でした。Guifré I(9世紀)のニックネームは、Guifré el pilós(日本語:毛深いギフレ!)でした。
西暦880年に毛深いギフレは、ベネディクト会のリポイ修道院を創立し、オリバ修道院長は、このサンタマリア修道院を運営しました。1000年前にオリバ修道院長は、権力を持っていました:ビックのカテドラル、モンセラット修道院、サン・ペラ・ダ・ルダス修道院、サン・ミケール・ダ・クシャ修道院やサン・マルティ・ダ・カニゴ修道院などを運営しました。
最初のバルセロナ公爵(801年~878年、11人)が、フランク国王に選ばれました。
バルセロナ公爵 |
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Berà(801年~820年) |
Rampó(820年~826年) |
Bernat de Septimània(826年~832年) |
Berenguer de Tolosa(832年~835年) |
Bernat de Septimània(835年~844年) |
Sunifred I(844年~848年) |
Guillem de Septimània(848年~850年) |
Aleran & Isembard(850年~852年) |
Odalric(852年~858年) |
Humfrid(858年~864年) |
Bernat de Gòtia(865年~878年) |
毛深いギフレの時代から、次の世代の子孫がバルセロナ公爵になりました。
多くのバルセロナ公爵や権力を持った政治家が、リポイ教会に埋葬されました:毛深いギフレ、ラモン・ベランゲー3世、ラモン・ベランゲー4世、バルナット・タヤフェッル等。
最も有名なバルセロナ公爵が創立した修道院で、バルセロナ公爵の棺がたくさんある教会なので、カタルーニャ人にとっては、リポイがカタルーニャの誕生地です。
リポイ教会の門は、12世紀に造られたので、ロマネスク様式(特徴:半円アーチ)になっています。長さ12㍍、高さ7㍍で、西に向かっています。とてもユニークな門で、旧約聖書をイメージしています。聖人ペドロ、聖人パブロ、全能者、福音書記者4人(マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネ)、契約の箱、1月から12月までのカレンダー、カインとアベル等が見えます。リポイの門は、石で造られた聖書だとよく言われています。
リポイの門が世界遺産に登録されるように、カタルーニャ政府が手続きし始めました。
1428年に大きな地震が起こったので、教会の塔2つが破壊されました(右側の塔のみ、再建されました)。
又、1835年に永代所有財産解放令の時に、火事があって、教会や中庭回廊がもう一度破壊されました。
現在の教会は、19世紀に再建された教会です。珍しくて、アブス(教会の祭壇の後ろにある半円形の部屋)が7つ造られています!
1931年にリポイ教会が、カタルーニャの国家遺産に登録されました。
残念ながら、スペイン内戦(1936年~1939年)の時、多くの棺が壊されました。
2階建ての中庭がとても静かな場所です。12世紀に建設工事が始まりましたが、16世紀初頭まで造られました(2階が15世紀と16世紀に造られました)。
見学できる場所は、ロマネスク様式の門、1835年以降に再建された教会、2階建ての中庭回廊です。
リポイ修道院の見学時間:
夏 |
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10時00分~14時00分 |
16時00分~19時00分 |
冬 |
10時00分~13時30分 |
15時30分~18時00分 |
公式HP:www.monestirderipoll.cat/
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バルセロナ・サンツ駅から R3 号線、Ripoll 駅で下車。
1日に16本。所要時間:約2時間00分。
チケット代(スペイン国有鉄道)
リポイ駅から修道院まで、徒歩約10分。
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